展示室内観
世界を夢見た「青雲画士」丸山晩霞
明治33(1900)年、丸山晩霞は鹿子木孟郎、満谷国四郎、河合新蔵と渡米。吉田博、中川八郎と合流し、「日本人水彩画家6人展」をボストン、プロヴィデンス、ワシントンで開催。大成功を収めその後渡欧。帰国後はこの同志らと太平洋画会を創立、大正2(1913)年には日本水彩画会の創立に尽力し精彩を放った。
山岳画家のパイオニア
明治31(1898)年吉田博とともに当時はまだ秘境の北アルプスに写生を目的としたおそらく日本初の旅行を決行。明治40(1907) 年日本山岳会に入会、丸山晩霞は白黒写真でしか紹介されなかった日本の山岳美をみずみずしい色彩で紹介し、さらに登山技術やスキー技術、紀行文などを通じて山岳文化を広める役目を担った。
学芸員の愉快なギャラリートークを開催
展示の様子
丸山晩霞最晩年の1940年の作品。白馬のお花畑を見て高山植物にのめり込んだ。それは単なる愛好者の域を超え、研究者も舌を巻くほどであった。雪をいただく初夏の高山に、色とりどりの花が可憐に咲き乱れる様が、丸山晩霞に大きな感動を与えたのである。
丸山晩霞の代表作の1つとして知られている作品で、吉田博が旧蔵していたものである。霧にかすむ高原の表現などは、吉田博の影響を感じさせる。丸山晩霞は吉田に山岳風景のすばらしさを伝え、吉田は丸山晩霞に水彩画のすばらしさを伝えた。
1894年明治美術会展に初入選した作品の一つ。郷里を愛した丸山晩霞の思いが伝わる作品であるが、自身は後年気に入らずに破ってしまったとわれている。それを修復したもの。