場所:北斎館 開催期間:2020-09-05〜2020-11-15 お問い合わせ:北斎館(TEL:026-247-5206)
葛飾北斎は宝暦十年、現在の東京都墨田区にあった本所割下水に生まれました。十九歳で当時の人気浮世絵師、勝川春章に弟子入りすると、師にその腕前を認められ、瞬く間に役者絵師としてデビューを果たしました。
しばらくして師匠の死に伴い、兄弟子たちとの不和などにより勝川派を出た北斎は、寛永六年(1794)、江戸で活躍した上方絵師、俵屋宗達の画号を襲名し、翌年には宗理の名で絵暦などを発表しました。この頃描いていた美人画は、「宗理型美人」と呼ばれ、今回展示する肉筆画「柳下傘持美人」はその典型的な作品です。
その後わずか三年ほどで宗理の名を門人に譲り、北斎と画号を改めると、それまで見られなかった西洋風の作品などを手掛けるようになります。「阿蘭陀画鏡」シリーズもその一つで、まるで西洋画を意識したように額縁をデザイン的に配置したそれらは、銅版画とも錯覚するほどです。
葛飾北斎を名乗る40代半ばになると、北斎は読本の世界に携わるようになります。当時大人気作家だった曲亭馬琴と組み、読本の挿絵を手掛けるなどし、北斎の評判はうなぎのぼりに上がっていきました。今回展示する『霜夜星』、『新編水滸画伝』は北斎の挿絵作品を代表するものと言えます。
文化七年(1810)頃に名乗っていた戴斗から、文政三年(1820)頃に使っていた為一の頃にかけて、北斎はさらに様々な版本作品に携わるようになります。文化十一年(1814)に発表された『北斎漫画』は、明治期まで続く大ヒットとなり、また、天保二年(1831)には、今や誰もが知る「冨嶽三十六景」を出版、浮世絵界にそれまであまり見られなかった「風景画」を確立させると、それに続くように各地の滝や、橋の名所を描いた「諸国瀧廻」、「諸国名橋奇覧」などの錦絵を発表し、新しい風を吹き入れました。
晩年になると、北斎は浮世絵版画の世界から離れ、肉筆画を描くことに没頭するようになります。亡くなる九十歳までの最晩年に使っていた画号、画狂老人卍を名乗る頃、北斎は信州小布施へ数回旅をし、小布施の祭屋台天井絵「龍」、「鳳凰」、「男浪」、「女浪」を描きました。それまでにはあまり見られなかった、現実にはない空想の世界を描いた作品からは、北斎の卓越した視覚、想像力をうかがうことができます。
最後の最後まで絵を描くことに命を注いだ北斎。彼の指先からあふれ出たマジカルな作品の数々をどうぞお楽しみください。